価値ある失敗 手段が目的に・・・

国語「気持ちを伝える言葉について考えよう」の単元学習も中盤です。子どもたちは活発に発表の準備をしていました。消しゴムにインタビューするシーンがある班があったり、ニュース番組の間に再現VTRと称して劇を入れる班があったり、各班もオリジナリティあふれる発表になりそうです。
しかし、内容をよく見てみると・・・・。何を伝えたいかが分からない・・・。
発表自体は楽しく、見る人をひきつけるように工夫されたものになっているのですが、肝心の伝えたいことが分かりません。伝わっていないのに本人たちは伝えている気にはなっている感じです。
そこで、介入。「君たちはこの発表で何を伝えたいのかな?」と問いかけると、「あやまり方です」とか、「気持ちを込めてことわることです」とかとか。。。「それだとあいまいすぎるな〜。もう少し、具体的に。例えば、「謝るときには態度も大切です。その態度のポイントは3つあります。」とかね。きっと君たちには伝えたいことがあるんだよね。でも、それを意識していいない状態みたいだから、班で整理してご覧。」と言って、検討を促しました。

子どもたちはいい発表をしようと一生懸命に活動をするのですが、発表という形に囚われ、大切な核を見失ってしまっていました。発表ありきになってしまい、伝えたいことがどこかに置き去りになってしまっていました。

これって、私自身はもちろん、教員集団にもよくあることで、「手段がいつの間にか目的になってしまっている」ということです。例えば、運動会や文化祭の行事。本来は子どもたちの団結力や、創造性等を育てる事がねらいなのに、活動していくうちに華やかで楽しい見栄えのいい活動の方に意識が行き、本来のねらいを忘れてしまっているということは、残念だけどよくやってしまうことです。また、最近の研究主題によくある「学び合う子ども」というテーマ。授業のねらいを達成するためには、子どもたちの「学び合い」が大切だという仮説を基にして研究テーマが設定されているかと思います。子どもたちの「学び合い」はねらい達成のための手段です。しかし、研究授業をすると、「学び合い」自体が目的になってしまって、授業のねらい達成がおざなりになってしまっているということも度々あります。
大人でもしょっちゅう繰り返すこの失敗。手段と目的をしっかりと意識する事、繰り返しチャレンジすることが失敗を乗り越えるためには必要だなと思います。
子どもたちは価値ある失敗をしました。さあ、今日の発表が楽しみです。