学習規律と学力と特別支援

ふと気になって「学習規律」について調べてみました。
多くのサイトで,「学習規律」が重要であると述べられています。
これは,公的な機関でも,民間教育者であってもです。
パッと目に入るのは公的機関が多いように思われました。

さて,疑問がいくつか挙がります。

1,学習規律と学力には相関関係があるということ
さて,学習規律と学力には相関関係があると言っているですが,ここでいう「学力」とはどのような学力を指しているのでしょうか?
おそらく,単元テストなどの数値が図りやすい学力を指しているのではないかなと考えられます。
とあるのであれば,確かに相関関係には納得できるのです。
現在行われているテストなどの学力は,大概,教師が教えたことをいかに正しく再生できるか,だからです。

それでは,意欲面や表現力などには相関があるのでしょうか?
そういうことについての言及は見当たりませんでした。実際はどうなのでしょうか?

2,「学習規律」と特別な支援が必要な子との関係
「学習規律」を見ると,「話をしっかりと聞く」「背筋を伸ばして座る」「話し方を守る(付け足しです,とか,〜です,なぜなら〜からです)」など,型にはめる・決められたルールを守ると言うイメージです。
これって,特別支援の子たちにとって苦手なことばかりなんじゃないかなあ。
「学習規律」を守る学級を作れば作るほど,特別な支援が必要な子にとって居心地が悪い空間になるのでは?
また,「学習規律」を守る学級を作れば作るほど,そこに適応できない子が明らかになり「特別な支援が必要な子」が増えていくのではないでしょうか?

3 「学習規律」を守れる子が社会に必要な人になるのか
先ほど示した,「話をしっかりと聞く」「背筋を伸ばして座る」「話し方を守る(付け足しです,とか,〜です,なぜなら〜からです)」ということを守れることと社会人として必要な「規律」リンクするのでしょうか?

4 「学習規律」とはそもそも何か?
学習規律とは何かについて簡単に調べてみたのですが,見た限りでは定義はありませんでした。
つまりは,使う人それぞれの中での定義があるということなのでしょう。

デジタル辞書では,
1 人の行為の基準として定められたもの。おきて。「―を守る」
2 一定の秩序。「―正しい生活」
[補説]「規律」は集団や機構の秩序を維持する決まり

とありました。
とすると,その人の考える授業の秩序を維持するために,その人が定義付けているのだと考えられます。
さて,
「しっかり座る」
「意見を言う時は手をまっすぐに挙げる」
「指名されたら「はい」っとしっかり言う」
「先生が話している時はおしゃべりをしない」
など,はどのような授業をイメージしますか。
私は一斉指導型授業をイメージします。
なるほと,これらは,一斉指導型授業をし,知識を効率よく注入していくには必要な「学習規律」なのだと思います。

さて,時代は,アクティブ・ラーニング型の授業へと転換していっています。
とすると,上記の「学習規律」は果たしてアクティブ・ラーニング型の授業に合致する「学習規律」でしょうか。
アクティブ・ラーニング型の授業では,能動的が学びが期待されています。
その能動的な学びをする際,その学びの秩序を維持する決まりについて考えていくことが今後必要になってくるのではないでしょうか。