臨床共通科目の自分の担当の発表が終った

今日、発表をしました。
教職大学院の必修科目、「臨床共通科目」のグループワーク課題です。
与えられた課題を基に、テーマを「学力向上に何が必要か?」としました。

発表の提案は、次の三つです。
・学級集団づくりを学力向上のためにも行う
・チームをつくるという学級集団づくり観をもつ
・子ども主体の学級会、協同的な学習等で子どもたちのチームの力を高める

今回は、学級集団づくりを軸にと学力向上の問題を考えました。
学力の問題については、学力低下論争があります。
この問題に関しては、それぞれの立場があり、根拠として示すデータがまちまちであり、色々な見方ができます。
ですので、学力が低下したかどうか、云々の結論ははっきりしていません。

しかし、この学力の問題ではっきりしていることはあります。
それは、家庭格差が学力格差に現れていいるということです。
このことについては、文科省の調査のデータを基に提示しました。

学力が低下したかどうか、云々の論争は一旦置くとして、この家庭格差と学力格差の問題についてはわれわれ学校教育に携わる教師にとって重要な問題であると考えます。それを今回では、サブの問題意識として発表しました。

さて、学級集団づくりと学力向上の関係ですが、Q-Uの河村茂雄さんの示したデータが有ります。
学級満足型のクラスは、オーバーアチーバーの割合が高く、アンダーアチーバーの割合が低いという結果です。
また、Bazzの言う所の「課題解決志向集団」の集団づくりを行っている『学び合い』の学級や、クラス会議を実践している学級、協同的な学習を行っている学級では、自己効力感やNRTの結果、また、質的な面でも表現力の向上などが示されています。
このように、課題解決志向集団(チーム)づくりを意識することで、「学力」が向上すると考えます。

更に今後は、課題解決志向集団の一員として、仲間と協力し課題を解決する力自体が学力として問われる時代になります。
来年度のPIZAの調査では、協調型問題解決能力が問われます。
ますます、集団づくりと学力との関係の結びつきが強くなってくることでしょう。


発表では、伝えたいことがたくさん有り、準備していくうちにどんどんと情報が増えました。
ボクにとって、情報を増やすことは容易いことなのですが、情報が削ることがなかなかできません。
与えられた時間は45分のうち、私の提案自体は25分で終らせる予定でした。でも、削るということができず、終った見れば35分間も話してしまいました・・・。あ〜〜〜〜。情けない。
伝えたいことをシンプルにできる人間になりた〜い。
発表が終っての、ほっとした感と、自分のふがいなさを感じる一日でした。

以下、赤坂先生のFacebookの記事の引用です。
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臨床共通科目の本日のプレゼンもすばらしかった。テーマは「学力向上に何が必要か?」。プレゼンターの実践を基に、その理論的背景とこれからの可能性、方向性を提言した。実践を持っている教師はやはり圧倒的な説得力を持つ。
 「学力格差は所得格差」であることは周知の事実だ。日本の場合、絶対的貧困よりも相対的貧困の問題が大きい。PISAの動向、次の指導要領では、社会性も学力として測定される方向になるだろう。関係性、そして、それを構築する力にフォーカスしていくことはよいことかもしれない。
 しかし、心配なこともある。かつては、勉強はできないけど仲間がたくさんいる、友達少ないけどガリ勉で成績がいいというステレオタイプに表現されるほど、子どもの姿は単純化されていた。それが多くの異論無く受け入れられてたということは、そう実態はずれていなかったのだろう。しかし、今は、勉強もスポーツもできるのは富裕層であり、貧困層はそれを持ちにくい構造にある。塾に行けるのも、スポーツクラブに入れるのも富裕層だ。貧困層が勝負できるのは、コストのかからない社会資本、つまり、関係性の部分である。だから、勉強もスポーツもできないけど、社交的でなんだか愛されるという人は、それで世の中を渡っていける。つまり、人間力勝負である。
 しかし、今の貧困状況が問題なのは、貧困の固定化である。高度経済成長の時代には、働けば豊かになる夢があった。実質的に、時代の進行とともに貧困から抜け出すような状況が見られた。ところが今は、職業の固定化が象徴するように貧困層が固定化している状況である。つまり、貧しい家庭はずっと貧しい。「豊かな国」日本の貧困の怖さは、人様に迷惑をかけない、空気を読む、よい人であること、仲良くすることが至上命題として一人一人に課される。しかし、どれも実はとても難しいことで苦しいことである。学習すること、スポーツすることと同様に社会に馴染むことも、社会的訓練がいるので、挑戦すべきことという構造を持つ。
 そしてその挑戦の意欲を育てるのが家庭であり、地域コミュニティである。しかし、貧困はその家庭の持つ力、地域の持つ力を根こそぎ奪う可能性がある。もちろん、どんなに貧しくても、しんどい状況でも子どもを愛してりっぱに育て上げる親、地域はある。しかし、それはあくまでも例外であろう。社会性の基本は、愛されることであり愛すことである。
 愛されないと愛すことは難しい。貧困は愛される力を奪う。そして、もっと問題は、子どもの貧困が教師から見えにくい構造にあることである。