構成的?非構成的?〜話し合い〜

『水のこころ』(高田敏子)という詩を使い、ストレート院生(ボクらは現職院生)が模擬授業をしました。

詩の解釈をめぐって、話し合いをする授業デザインをしました。
その話し合いは、4名をグルーピングして行いました。

そのグルーピングでのお話です。

3つのグループをつくりました。
そのうち、4名中3名が「自分の読み」が同じだったグループがありました。内訳は、同じ読みだった3名が現職院生、違う読みがストレート院生でした。

2つのグループは話し合いが活性化していると私は感じましたが、その同じ読みが重なったグループは他の二つのグループに比べて話し合いが活性化されていないように感じました。
終った後に、ICレコーダーで聞き直したのですが、やはり予想通りでした。

固定のグループでは、意見が重なるという可能性があります。
意見が重なることで、その考えから抜け出すことなく停滞してしまう恐れがあります。
(勿論、意見が重なることで、その考えがどんどん深まっていくということも考えられます。)
これが固定のグループの課題だなと思いました。

もし、学級内の個々人の意見が可視化され、自由に話し合いがされるような授業デザインであればこのような停滞が起きないのだと思います。

一方、固定グループで意見がそれぞの意見が違ったグループは話し合いが活性化され、それぞれが認知を深めていった様子がみられました。もし、自由な話し合いの場が組まれていたらここまでじっくりと話し合うことはなかったと思います。

固定のグループでの話し合い、メンバーを固定しない自由な話し合い、どちらも良さがあり、課題がある。このことを改めて考えた模擬授業でした。