*見ていないようだけど・・・

 先日の3年生「サーカスのライオン」授業で,絵本の読み聞かせの途中,横を向いてぼーっとしているような子がいました.その子を興味深く感じ,その後の様子も見続けました.読み聞かせ終了後,初発の感想の時間となりました.するとどうでしょう,その子はすらすらと感想を書いていくのです.そしてあっという間にノート見開き2ページにわたり感想を書き上げました.その子に,「読み聞かせを聞いていかなったように見えたんだけど・・・」と聞いてみると,「聞いていたよ」と照れながら答えました.一見,聞いていないように見えたのですが,実は聞いていたのですね.


 授業中に限らず学校生活全般において,私たち教師は,子どもたちが何か悪いことをしているのではないかと監視の目で見てしまいがちです.

 西川純著『「静かに!」を言わない授業』という本があります.この本には,授業中の子どもたちの会話に関する研究の成果がいくつも紹介されています.それらの研究の成果の一つに,私語とじゃれあいに関する考察があります.その考察によると,授業中の子どもたちの様子を見たとき,それが私語やじゃれあいのようにしか見えない場合でも,実は授業の内容を質問していたり,課題解決の相談をしていたり,子ども同士の人間関係を構築していたりするということがわかったそうです.



 私たちは,気を抜くと子どもたちはおしゃべりをしたり,遊んだりしたりして,自ら学ばない存在であるのだと,どこらかで思ってしまっていて,いつの間にか目の前の子どもたちを色眼鏡で見てしまいがちです.でも,これらの研究成果からもわかるように,子どもたちは本質的に自ら学ぶ存在なのですね.その色眼鏡を外し,教師が子どもたちを自ら学ぶ存在と捉える立場に立つとき,子どもたちの自由な発想を保証し,子どもたちが支え合う学び合う関係を授業の中で作れるのではないでしょうか.