石川先生との対談で聞きたかったこと 授業づくりネットワーク

今朝、授業作りネットワークが届いていた。
今回の授業づくりネットワークには石川晋さんと対談させていただいたときの記事が載っている。

あの日、晋さんとお会いするのは2度目だった。
しかし、ネットなどでつながっていたので2度目とは思えなかった。

1回目にお会いしたときに、二人でお話をさせていただいた。
「愛と勇気のチカラ」の懇親会2次会の後、もう少しお話しを聞かせていただけないかとお願いしたら快く了承してくださった。


深夜ロイヤルホストで、おっさん二人パフェを食べながら会話をした。


若い頃から民間教育研修にどっぷりつかって活動されていた話を聞いた。興味深い話だった。
莫大な時間とお金をそこに費やすエネルギーに驚いた。
晋さんの魅力的なところは、教育に身を捧げる献身的な聖職者という教師像ではなく、興味のまま突き進んだ結果の姿というイメージの方が強いところである。「ほら、凄いだろ俺はここまでやっているんだぞ。本当の教師になりたかったらこれくらいやれ!」とメッセージを突きつけてくる「スーパー教師」ではない。そこが有り難かった。


どれくらい話を聞かせていただいたのだろう。
今となっては記憶にないが、結構な時間を私にさいてくださった。
魅力的で、とても優しい人であった。




あの対談で聞きたかった、知りたかったことは、石川実践の背景にあるものと育休あけのこれからである。
漠然としている。
でも、それは何だろうと思っていたので知りたかった。
対談で少しでもそれを引き出せたらと思っていた。

背景にあるものに関して、自分なりに仮説というか、キーとなるものはもっていた。
膨大な知識と過去の実践と人柄である。
あの晩話を聞かせていただいたことから、膨大な知識と、そして多くのチャレンジがあったことが分かった。それと新たな知識や考えを掛け合わせて、周りが驚くような実践を生み出していることが分かっていた。
ただ、それだけでは、「「対話」がクラスにあふれる!国語授業、言語活動アイディア42」のような実践は生まれないだろうと考えていた。
私が思っていたのは、あの時感じた、優しい人柄である。
晋さんは話をしていると、ふんわりとしてあたたかい。そして、見ず知らずのやつに快く付き合い、自分のことを話してくれる優しさがある。きっと、学級でもそうなんだろうなと思った。こういうあたたかな人柄が、生徒たち一人一人の「学びやすさ」を考えて行う実践を生んでいるのだと思った。


晋さんは育休を経て、何か変わったのだろうか。
これは同じ子育てをするものとして非常に興味があるものだった。
自分自身が、子どもを授かったことで大きく変わった。今年1年生になった長男はかなりマイペースである。行動が遅い。じっくり考える。ポケモンとかも好きだけど、1年生が普通もつ興味関心とずいぶんと違う所に興味関心をもったりもする。集団生活に馴染めるかなとかなり心配した。1年経って、まあそれなりにやっているので一安心しているところだ。
春先には、至る所で息子の学びにくさというものを感じた。これは、担任の先生がどうのというレベルの話ではなく、学校という枠組みの問題。学校という枠組み自体がすでに学びにくさを生んでいるものだと分かった。(担任の先生には感謝している。息子のマイペースに付き合ってくださり、良さを認めてくださった。)
これは息子がいなければ、鈍感な自分には気づくことができなかったことだと思う。息子には感謝している。


このようなことは晋さんにとってはお子さんがいるいないに関わらず感じていたことだろうと思う。しかし、だからこそ、お子さんを通して、もっと何かを感じとられたのではないか。そして、その感じ得たことから育休あけの生活や実践に変化が起きるのではないかと思った。


このようなことを対談では知りたかった。



ちなみに、対談では自分の技量の低さに情けなくなった。
晋さんや会場の皆さんには申し訳ないことをしたなあと思っている。
技量があがるまで、もうしない。ごめんなさい。